心臓病ママが仕事と育児をがんばるブログ( *´艸`)

先天性の心臓病(ペースメーカー)の新米ママが、仕事と育児をがんばるブログ

私の人生25年と心臓病との付き合い

おはようございます。心臓病ママのrenaです。

 

このブログは、心臓病ママさん達の結婚・仕事・子育ての情報発信をしながら、悩みなども共有できたらとはじめました。

 

  病気があるからこそ、いかに楽にかつ楽しく!子育てするかばっかり、考えてます(笑)

 

 

 

 私は先天性の心臓病の一つである。大血管転移症で肺動脈狭窄と、心室中隔欠損症の合併があるタイプです。産まれてから半年後に手術をして、後遺症として房室ブロックが出て、ペースメーカーを挿入しました。ちなみに私の母は出産にするまで、ずーっと「異常なしです。」と言われていたらしく、生れてから心臓病が見つかって、そして半年後に手術。。。なかなか受け入れられなかったようです。心中も考えたとか、考えなかったとか。

 

 

 

私の成育歴です。

 

0歳~3歳

 

・産まれてすぐは、手術ができるようになるまで、大きくなるのを待つ。

 

・体重がある程度増えたため、手術。3か月入院。

 

・退院後は自宅で普通に過ごす。

 

 

 

3歳~6歳

 

・保育園に通いだす(運動会やマラソン大会なども自分のペースで参加)

 

・英語でゲームをする習い事?に通いだす。

 

(親なりに、将来身体が不自由になっても頭さえ動けば仕事ができるようにと、多分翻訳とか?英語を習わせてくれていました。)

 

 

 

小学校

 

・5年に1度のペースメーカーの電池交換手術で2~3週間入院するくらいで、日頃は何不自由なく生活していた。

 

・他の子どもに比べると「少し小さいかな?」くらいの発育で、特に問題もなかったそうです。

 

・体育などはマラソンやプールは自分のペースで、それ以外は普通に参加。

 

小学生になり、体育に参加する条件として、医師から自分で脈が測れるようにと指導がありました。

 

異常が出ればすぐに救急車で病院へ。

 

ちなみに小学校6年間のうち、救急で病院へ行ったのは、1度だけでした。

 

小学校2年の時、担任の先生の理解がうまく得られず、マラソンを途中で休ませてもらえなかったため、倒れました。校長先生が車をだし、病院へ連れて行ってくれ、その後は3年間ほど体育参加のしばりがきつくなり、が満足にできずショックでした。

 

 

 

 

 

中学校

 

小学校の頃の入院は、みんなが学校行ってる間に休めてラッキーと思っていました。

 

中学校の入院は、2~3週間抜けると、人間関係が変わっていたので辛かったです。いじめられたりもしました。

 

でも、「こんなごみ溜めみたいな学校から抜け出してやる。」(めちゃめちゃ荒れている学校でした)と、雑草根性で、勉強し、いじめられていた子たちが全くいない進学校に合格しました。中二の夏休みの模試で、偏差値37でした。そこから必死に勉強して偏差値67の学校に合格しました。

 

 

 

 

 

高校時代  

 

・体育は普通に参加

 

・コンビニでバイト

 

・体育系の部活に入れず、バスケ部のマネージャーをする。受験のタイミングでやめる。

 

 

 

大学生

 

 

 

・一人暮らしをはじめる。

 

・塾講師や家庭教師のアルバイト

 

・国内・海外でボランティア活動

 

特に異常なしでした。

 

 

 

卒業後22歳~23歳    

 

・結婚する

 

・新卒採用で、ホテルに就職。ブラック労働により、BNPが過去最大になる。100をこす。

 

・仕事中にペースメーカーのリード線が切れる。

 

・緊急入院し、ペースメーカーの交換手術をする。

 

・退院後、前職のつてで転職し、大学職員になる。

 

・大学職員をしながら、教員採用試験を受験する。

 

 

 

24歳~現在

 

・採用試験の合格通知が届いた2週間後に妊娠が発覚し、再び入院。

 

・大学職員を退職。

 

・療養と出産・育児の為教員採用延長の手続きをする。

 

 

 

こんな感じでした。